【写真】ジャニー喜多川の若い頃がイケメン!昔のサングラスなしの顔画像はコチラ!
ジャニーズ事務所を築き上げた、ジャニー喜多川さん。
そんなジャニー喜多川さんの若い頃の写真が気になります。
今回は、ジャニー喜多川さんの若い頃の写真を経歴とともに死因までまとめてみました。
【顔画像】ジャニー喜多川の若い頃がハーフ顔でイケメン!
ジャニーズ事務所を設立したジャニー喜多川さん。
そんなジャニー喜多川さんの若い頃がイケメンと言われています。
ジャニー喜多川はハーフ?
本名は”ジョン・ヒロム・キタガワ”さん。
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス生まれのジャニー喜多川さん。
- 父親:喜多川諦道
- 母親:喜多川栄子
父母ともに日本人ですが、アメリカで産まれて日本と米国の二重国籍を持っていたため、ミドルネームがありました。
ジャニー喜多川さんの父が僧侶で、1924年に布教活動のために渡米したため、幼少期はアメリカで生活しています。
【ジャニー喜多川】ロサンゼルスの高校に進学
1933年に家族で日本へ移住して大阪で生活しますが、第二次世界大戦終結後には再度アメリカロサンゼルスに渡り、現地の高校を卒業しています。
高校時代にはロサンゼルスの「アーニー・パイル・シアター」にて、ミュージックメイカーのアシスタントとして、アルバイトをしていたジャニー喜多川さん。
ロサンゼルスの高校を卒業後は、姉のメリー喜多川さんと同じ「ロサンゼルス・シティー・カレッジ」に進学します。
【ジャニー喜多川】芸能界進出のきっかけは美空ひばり!
1950年に歌手の美空ひばりさんがアメリカ公演を行い、それがジャニー喜多川さんの転機に。
ロサンゼルス公演の会場がジャニー喜多川さんの父親の職場であった”真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院”だったため、ステージマネージメント全体を担当することになります。
このことがきっかけで美空ひばりさんと親しくなり、日本の芸能界に後に進出することとなりました。
1952年にジャニー喜多川さんは、再来日。
【1962年】ジャニーズ事務所創業
日本に戻った後、1960年代に少年野球チームのコーチを務めていたジャニー喜多川さん。
ある日、その野球チーム「ジャニーズ少年野球団」のメンバーを映画館に連れて行きます。
そこで鑑賞したミュージカル映画『ウェストサイド物語』に感動し、エンターテインメント事業を興業することを決意します。
その後、”フォーリーブス”や”郷ひろみ”などから、”SMAP”や”KinKi Kids”、”嵐”と男性アイドルを続々とデビューさせます。
【2019年7月9日他界】ジャニー喜多川の死因は?
2019年6月18日に自宅で体調の異変を訴え、救急搬送されたジャニー喜多川さん。
2019年7月9日に87歳で死去されました。
解離性脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血
2019年7月12日には、「家族葬」が行われました。
司会を務めた国分太一さん (TOKIO)や井ノ原快彦さん (V6) をはじめ、「子供達」と称するジャニーズ事務所タレント150名に見送られました。
まとめ
今回はジャニー喜多川さんの若い頃の写真を経歴とともに死因までまとめてみました。
ジャニー喜多川さんの作り上げたジャニーズ事務所はどのように変化していくのでしょうか。
今後の動向にも注目ですね。